アリーナ遠景20110320

 東日本大震災から8 日目の3 月19 日、午後1 時30 分、大宮医師会から緊急ファックスがあった。事務長に電話をすると、「さいたまスーパーアリーナ」に福島県双葉町からの避難の方がバスで到着するが、受け入れ側の医師が手薄なので、なるべく早く行ってもらいたいということであった。白衣と聴診器だけもって、自転車で向かった。

 現地にはすでに先発のバスが到着していた。大きな荷物を持った人が列をつくり、重ねた段ボールが山を作っていた。B ゲート半地下の217 番の扉を開けて、救護センターに入った。避難者で、有病者および体調不良など症状の訴えのある方の、トリアージが第一の任務である。診察が必要か、投薬が必要か、入院が必要かの判断をしなければならない。約2200 人(双葉町民1200 名、その他町民1000 名)の方が到着され、アリーナ4F および5F にシートもしくは段ボールを敷いて休憩する場所を作り分散していた。

 医療ボランティア4 人で1 チームを作り、5 組で手分けしてトリアージを行った。県立小児医療センター手術室看護師および医師、自治医大さいたま医療センター救急部医師、東大宮病院医師、浦和医師会および与野医師会医師、神奈川県立リハビリセンター医師、日本医大外科医師と学生、浦和レッズチームドクターなど各医療機関の医療職や介護職だけでなく、薬剤師や療法士の方々が自主的に参加されていた。

 まず順番に、声かけしながら当日中に投薬が必要な方、診察が必要な方、翌日以降に診察が必要な方がいないか、指示を出しながら巡回した。次に、各階に2 カ所、簡易問診聴取テーブルをつくり集合してもらい、投薬もしくは診察が必要な方のカルテ(A4 一枚)を作成した。同時進行のため、通し番号をつけ一人一枚のカルテをつくることは難しく、回収後の整理と同一人物である確認に工夫が必要であった。内服薬の現物だけでなく、保険証も薬手帳も持ち出せなかった方も多く、現在処方薬の同定に難渋した。例えば、「赤い小さな丸い血圧の薬を朝1 錠」とか「緑色の糖尿の薬」という会話から、推測し判断しなければならない。ジェネリック薬の場合、さらに混乱するだろうと思われた。ただ、心臓人工弁置換後でワーファリンを震災以来内服されていない方、インスリンの切れた方、抗リウマチ薬や抗てんかん薬を持ち出せなかった方など、早急の投薬が必要な方が少なからずいることが明らかになった。

診察前打ち合わせ20110320

 巡回後、救護センターに戻り、カルテと聴取情報をもとに、当日分処方(FAX による院外処方)および、急ぐ必要のある方の診察を行った。午後8 時からカルテ整理および情報の共有のためミーティングを行った。

 翌20 日は、午前8時30 分、救護センターに前日の担当者を中心に集合し、各部門の人員配置とリーダーの決定、およびスケジュールの確認を行った。また、各医師会の代表者で医師の役割分担とローテーションを決めてから、業務に入った。救護センターには、おおむね内科3 ブース、小児科1 ブース、外科・整形外科1ブース、眼科1 ブースを設置し、診療時間を一日4 回(9 時、11 時、13 時、15時)に区切り、集中を避けるためフロア別に対応した。

 受診状況は、19 日の受診者数255 名、処方箋数25 枚、転院・紹介数10 名(内急患5 名)、20 日の受診者数219 名、処方箋数210 枚、転院・紹介数9 名(内急患2 名)であった。

 その後、29 日からは旧騎西高校への移動が始まったため、救護ステーションへの受診者数は減少し、31 日午後4 時に閉鎖された。

 双葉町避難者の人口構成(3 月23 日)は、総数1065 名(男性564名、女性501 名)、平均年齢49.9 歳(最年少者6 か月、最高年齢者94 歳)であった。