サッカーは「戦争」であるという。それだけ国家的、国民的熱狂を伴う激しいスポーツであるということだ。

13年前の2004年、日本対イランのアジアカップサッカーの放映を記憶している方も多いだろう。中国重慶からであったが、日本の選手がボールをキープすると、異様なブーイングが競技場に重低音で響いた。嫌悪を通り越して敵意に満ちていた。戦争の臭いがした。重慶はかつて、蒋介石の国民政府があり、日本軍が猛烈に爆撃した都市である。そのため特に反日感情が強いともいわれている。40℃近い猛暑のなかの「四面楚歌」日本選手の善戦 は頼もしいものであったが、冷たい壁のような敵意と、火のようになげつけられる罵詈雑言は、歴史認識と歴史教育の彼我の決定的な差を思い知らせるものであった。比喩ではない本物の戦争がかつてここにあった。

 日本外交は日中関係と日米関係の間を揺れ動いているという。そのどちらに傾斜するかによって、ボールは転がる。66年前、日本は米国との開戦を決意するまで、戦争準備と外交的妥協の努力を平行して進めていた。米国も日本との戦争は最終的には避けられないとしても、戦争準備が整うまで 3ヶ月は開戦を引き延ばしたいという意向をもっていた。米国が非妥協的なハル・ノートを日本に突きつける直前まで、より妥協的な案を用意していたことが明らかになっている。それに猛烈に反対したのが、中国大使胡適であったという。胡適は蒋介石と暗号電報で連絡をとりながら、米国が日本に妥協的な政策を一時的にでもとるということは、中国および中国民衆を見捨てることであり、米国が日本に売る石油1滴は中国人の血液1ガロンに相当すると主張し、一歩も引かなかった。歴史に「もし」は禁物だが、米国が対日石油禁輸を緩和し、真珠湾攻撃が中止されたとしたら、日米関係は違った形で展開したかもしれない。中国はこれを絶対阻止する必要があり、そのため死にものぐるいの外交的努力を行ったのである。

 日本の外務大臣東条茂徳はこれを静観したという。東条大臣は、なすべきことは「すでになされた」のであり、米国は日本に妥協的な暫定協定案を提出する「はず」だと考えた。ハル・ノートは日本軍の中国からの全面撤兵を要求していたから、日本の対米開戦は中国侵略戦争の延長戦上にあったといえる。米国が日本の暗号電報を解読し、重要な軍事外交情報を把握していたことは広く知られている。しかし、日本も開戦の時点で、中国や米国の極秘電報を解読していたと考えられる、とする最近の研究は驚くべきものである。何故なら、日本の首脳は中国および英国の、「米国をなんとか対日戦に早期に踏み込ませたい」という努力を知りながら、具体的な対抗手段をとらなかったことになるからだ。ここでも、「なってほしいように世界は変わるはず」というような根拠のない楽観がその判断を支配していた。はたして今はどうか。本当に日米関係が強固であればあるほど、日中関係は良好になるのか。日本は日中関係と日米関係の間を揺れ動き続けている。

   第二次世界大戦、太平洋戦争、十五年戦争、大東亜戦争、よってたつ歴史認識の違いから様々に呼称されるあの大戦争から、「起きてはならないことを起こさないために」学ぶべき歴史的教訓はなにか。

 第一に、「そうあってほしい」と「そうあるべき」と「そうある」ということを混同してはならない。「国力に圧倒的な差があってかなわないと思うが、日本は米国に勝ってほしい」「大義によって、日本は米国に勝つべきである」「日本は米国に勝つ」いや「すでに勝っている」などというように。「そうあってほしい」ということを、なるべくそれに近い形で現実化していくには、高い志に裏付けられた、しぶとく地道で着実な努力が要求されるだろう。

 第二に、慢性的な閉塞的状況からの脱出を望むあまりに、一晩で眼前の暗雲や霧がすっきり晴れるというような幻想や願望をもってはならないということである。日常瑣事の積み重ねのなかにしか解決策は存在しない。小林秀雄でさえ、「日米開戦直後、暗雲がはれてすっきりして世の中がわかりやすくなった。」というような文章を残している。大震災後、この日本を覆う閉塞状況に著効をしめす特効薬はない。リーダーを選ぶ事だけでは解決しない。

 第三に、大衆的熱狂を信じてはならない。また、その精神的昂揚のなかに他人を巻き込んだり、自分からひきずり込まれていってはならない。軍部は当時の先端メディアを最大限に動員して世論を誘導形成し、大衆的熱狂を演出した。集団的自衛権が閣議決定されたその日に、陸上自衛隊の勧誘CMにAKB48のアイドルを出演させた。判断力と見識のある個人は孤立し、踏みつぶされ、動員され、大波に飲み込まれていった。

 第四に、「仕方がない」「仕方がない」を積み重ねて、あみだくじを次々と引いていくように、後戻りが不可能となる時点まで追い込まれてはならない。全てを失うと思われるような撤退が、最も合理的な判断であるような最終ラインがたしかに存在する。

 第五に、異質な才能の排除に集団的暴力(精神的・肉体的)を用いてはならない。同質で、単一方向性をもった人間のみで構成される組織は効率的に見えるが、最終的には適応力に欠き自滅する。一枚岩は脆弱である。自分とは、文化的背景も価値観も異なるが、優れた能力をもつ人間と緊張感を持った社会を形成していかなければならない。少なくともその排除に「多数」の力を用いることは自滅への道である他ない。

 日本とアメリカと中国。あの大戦争をひきおこす過程で、皮肉な形ではあるが日本史は世界史と重なった。日本にとっては 自滅的な歪んだ形ではあるが、「西洋的なもの」と「東洋的なもの」の総力戦の一面をもっていたことは否定できないだろう。それが今では、「アメリカ的なもの」と「非アメリカ的なもの」の闘争という形に姿を変えているように思える。かつて、重慶五輪蹴球場を埋め尽くす五万人の中国の若者のエネルギーが渦を巻いて<小日本>に向けられていた。あの時、観客席から蹴り込まれたボールが、今頃になって、モニター画面を突き破り私の頭に当たった。くらくらする頭でいろいろ考えてみた。

 2016年には、集団的自衛権が衆議院で強行可決され、「海外派兵」が事実上可能となった。2017年、敗戦から71回目の夏、「第二の敗戦」とも言える東日本大震災から5年6ヶ月の夏が終わった。(2017.9改)